本名は裸で立っているような気分になって、いつもすこしだけ気恥ずかしい
ひらがなというのもそれを助長させる
決めてはこれ以上ポピュラーでわかりやすくてシンプルなものもなかなかないだろうというあんばいの苗字

 

人はいつかの時点でかけられた呪いをとくために生きるんだ 前向きなものもあれば自分ではどうしようもないものまで

10月22日土曜日

夜の八時過ぎ、二階席にお客さんがやってきた
一番奥に座ったおじさんは
白くて茎の方がわずかに緑がかった花をスーツの胸ポケットにさしていた
胸にさすには少し丈の長いちぐはぐな花
たまに姿を見せる近くの会社の常連さんと
それから初めて見る同僚さんたちも二階に上がってきた
そして最後に杖をついたおじいさんが
一歩一歩ずつよたよたと登ってきた
そのあとをおばあさんが着いてきた
そして宴会が始まった
シルバーフレームに飾られた解像度の鮮明でない写真
彼は最初席の真ん中にある通路の間に飾られていて
それから何回か上に行った時にはチェアの上でみんなに囲まれていた
「この人を覚えてる?最近亡くなったんだ」
いつもの常連さんが私に尋ねる
何度かこの店にも来たと言っていた
私はその人の顔に見覚えがなかったけれど、
それは写真の解像度のせいなのかもしれない
おじいさんとおばあさんは老いているというにはまだ若く
知らない人たちに囲まれて、彼らから息子についての話を聞いていた
おばあさんが東京にあるというおでんの○○というものはあるのかねえとたずねた
それは実際のところメニューにはなかったのだけど、話を聞いたママはそれを作った
はんぺんで出来ているというその具材を作るママの後ろ姿がどうしてか
少しいつもと違っているような
リクエストされたものを作り上げる料理の腕にかけてだけじゃない
寂しさとも決意とも違う何か語るべきものがあるような背中をしていた
私は彼のことを何も知らないけれど
知っている人たちに囲まれて一人だけ不在というのは少し不思議だった
もうこの世界のどこにもいないのだということが
彼らはすでに飲んできたにも関わらずよく飲んだ
あの花は誰かを祝う花じゃない
送り出すための花だったのだ
11時過ぎに彼らは降りてきた
ひとりずつしっかりとゆっくりと
そして足早に外へ出た
毎日降り続く雨は随分止んでいて小雨になっていたが
明日から台風が来るからきっとこれもつかの間だろう
胸ポケットに長すぎる花をさしたスーツ姿のへべれけの企業戦士たちが一人また一人と帰っていった。
女の人たちは包まれた白い花を丁寧に傘の下で抱えるように抱いていた。
こっちを向いて手を振ってにっこりと笑った。私も笑い返した。
彼らは胸をはって、ゆっくりとそれぞれの帰り道を戻って行った。

 

東京に雪が降る前の日の夜

 
 
昨日の夕食は油淋鶏。
 
20時過ぎにスーパーに行ったので鶏むね肉が安くなっていた。
 
アパートのドアに貼ってある振込用紙が気にかかる。今月の光熱費を払うのが今から億劫だ。
 
夜は映画を見た。「覇王別姫」、愛と悲しみの物語。途中で寝てしまったから話はまだ途中のまま。
 
 
目が覚めたら大きな雪が降っていた。寝起きのまま、何枚か写真を撮った。
 

コアラ園の話


コアラ園は暗い通路を抜けた中にあった。

ガラス張りの部屋にコアラたちはユーカリの葉と一緒にいた。

そこは想像よりもはるかに天井が高く、そして市の体育館のような明るさの電球が配置されていた。

そのガラスに沿って通路が作られ、そこに立ち止まって眺められるような作りになっていた。

コアラのいる場所は随分明るいのに、通路は薄暗く、ほとんど見えなかった。

コアラを見ようと集まった老若男女、特に今日は休日ということもあって家族連れも多く、辺りはごった返していた。

ガラス沿いにはずらりとカップルやら大きなカメラを抱えたおじさんやら、走り回る子どもたちやら老夫婦やらが何層にも列をなしてコアラを観察していた。歩き通していたのもあって、私はそこに入っていくことはあまり気が進まなかったので、壁側の通路に背をもたれてコアラをながめる人たちを眺めることにした。まるでカメラを固定して長回しでテイクを撮るように、私の目はそこにとどまり、身体もまたじっとその場を動かなかった。

高ぶっていた気持ちが落ち着くにしたがって、せわしなかった目の前の景色がまるで音のない映画を映すスクリーンのように、ゆっくりと流れるようになっていった。


まるで夢のようだなあ。


私たちはお互いを傷つけないように気を使い合う。それは相手のことが大事だからだ。

その思いやりで時に傷つき合う。それは相手のことが好きだからだ。

それとは別に、私たちには自分でしかアクセスすることのできない、絶対不可侵の領域がある。

どんなに相手を理解したいと思っても、好きでも、大切でも。

打ち明けることはできても、自分以外の存在がそれを本当の意味で知ることはできないし、それが孤独ということなのだ。人は元々は孤独な存在なのだ。それを隠すことはできるが、ないものとして忘れることもできようが、なくすことは決して出来ないのだ。